「安曇野白鳥飛来地と元旦登山」
平成16年1月1日(木)
観察場所:長野県明科町御宝田白鳥飛来地→豊科町犀川ダム湖白鳥飛来地→光城山
長野県の安曇野に白鳥が越冬に来るようになって15〜16年位になるでしょうか。初飛来した時に、白鳥を追い求め、池田町のJ・K氏と犀川ダム、木崎湖などに行った事を思い出します。その後コハクチョウはこの地を安住の地として毎年訪れています。
長い歴史の自然を考えてみると、本来、この地方に白鳥が飛来することはなかったような気がします。もっと北に餌が豊富で越冬しやすい所があれば、わざわざ余分なエネルギ−を使って南下する必要がないからです。たまたま人間が快適な生活をするために自然破壊をしたため、白鳥は生活し難くなったことでしょう。そこで餌を求めて南下して来た時に、この地で労せずに餌に有り付きました。その後引き続きこの地を訪れて餌をいただき、また、シベリアに戻っています。言うなれば、冬の間は家畜化しているような気がします。しかし、白鳥は夏にシベリアに戻り、自力で生活して赤ちゃんを育てるのですから、白鳥は使い分けをして、人間をうまく利用しているのような気がします。
日頃、白鳥のお世話をして頂いていることに感謝します。大型の動物ほど人間の活動が盛んになると減少するといわれています。白鳥もその一つです。ですから餌を与えることは大切だと思います。しかし、必要以上に餌をたくさん与えるることは、自然離れを助長しているような気がします。大切なことは、白鳥が自然の中で人間の援助なしに生活できる自然環境を人間が作ってやることだと思います。白鳥はアイドル的要素がある生き物ですから幸せだと思います。生物界では白鳥の他に何万何千という生き物が絶滅に瀕していることも考えていただきたいのです。世界には13億人の私達の仲間が飢え死に寸前だと聞いています。そんな時に白鳥が可愛いといって、持参したお菓子やパンなど気楽にあげるのはどうかと思います。新年から勝手なことを申し上げてすいません。

【左】2004年元旦「白鳥飛来12周年・初日の出を祝う集い」が長野県東筑摩郡明科町の御宝田で開かれました。
【右】地元「御宝田白鳥の会」の世話で、樽酒、甘酒、とん汁、地元名産ニジマス塩焼き、かぶと焼き、野沢菜漬、信州硬ダイコン、リンゴ、ミカンなどと餅つきが行なわれ、ゴマ、キナコ、アンコを使った大福餅がふるまわれました。

【左】「御宝田白鳥の会」の餌当番の人が、餌倉庫を開くと倉庫前の広場にたくさんのカモが集まってきました。
【右】餌を与えています。見ていると餌を食べる順番があるみたいです。まず、白鳥と淡水ガモの仲間のオナガガモ、マガモ、ヒドリガモ、コガモが食べます。その後、おもむろに海ガモの仲間のホシハジロ、キンクロハジロが潜水して沈んだエサを食べていました。

【左】御宝田の北方です。マガモが写っていますがここでは少なく、オナガガモ、ヒドリガモ、ホシハジロ、キンクロハジロがたくさん見られました。
【右】御宝田の西方です。富士山みたいな山は安曇富士といわれている有明山です。信仰の山で頂上に有明神社がまつってあります。

【左】南安曇郡豊科町の犀川ダム湖に掲示されている白鳥の飛来情報です。
【右】犀川ダム湖の観察小屋です。白鳥は最初にこちらに落ち着きました。

【左】犀川ダム湖は水路式発電所の取水口のダムですが、白鳥は結構流れのきついところに生活していました。
【右】 光城山の中腹にサイカチの莢(さや)が落ちていました。(小さいのはニセアカシア)子どものころこれを体が温まる効果あると風呂に入れていました。サイカチは有用植物で、莢を石鹸の代用。若芽を食用。材は器具、家具に利用されるそうです。

【左】 ソメイヨシノにヤドリギが寄生していました。ヤドリギは葉が茂っている夏は目に付きにくいですが冬は良く目に付きます。
【右】 ヤドリギの実を小鳥が食べて植樹してくれます。果肉はベタベタして樹皮に張り付くようにすごい接着力がありました。

【左】 光城山の頂上にある神社の前で新年会が開かれていました。光城山は犀川ダム湖のすぐ東に有る標高1000m位の眺めがいい山です。
【右】 光城山の頂上から見た北アルプスで、手前は安曇野です。山から犀川ダム湖の白鳥を眺めることができます。

【左】 植栽されたナナカマドに実がついていました。山小屋でナナカマドの実の砂糖漬けを頂いて食べたことがありましたので口に入れてみました。少し苦味があって余り美味しくありませんでした。
【右】カツラの裂果(れっか)がたくさん付いていました。木を揺すったら種子の残りが花吹雪みたいに舞いました。

【左】カツラの裂果と種子です。風で遠くに飛ぶために種子に翼(つばさ)が付いたのがよく分かります。
【右】 シラカバの果実は風で飛ばされずに、ほとんど付いたままでした

【左】 シラカバの種も羽根が付いていて風で運ばれるようになっていました。
【右】 カラコギカエデの翼果(よくか)でしょうか。たくさん付いていました。これも今から風で飛ばされるのでしょうか。

【左】 オケラの種がほとんど飛んだ後です。子どものころ薬草として根を掘って売って、小遣いにした記憶があります。
【右】 ガマズミは子どものころのおやつでした。久ぶりに食べてみましたが、子どものころより酸っぱい感じでした。