【題 名】 「新美南吉と自然観察」
大橋秀夫

 18年の半田ミニ自然観察会は新美南吉にまつわる自然観察会を実施し、改めて新美南吉がすぐれた自然観察の眼とユーモアをもった童話作家であることを認識した。折りしも本年は小学校の国語の教科書に「ごんぎつね」が採用されて50周年にあたり、私が企画ご提案した黒井さんの絵本が「ごんぎつね写真付き」切手として全国発売され、好評を得た。

 ところで、「ごんぎつね」といえばヒガンバナやクリ、萩で秋の里山をあらわしているが、モズの高鳴きを取り入れている点は、南吉がすぐれた自然観察者だったことを端的に示している。また南吉が「赤い鳥に」投稿した草稿「草狐」は、書き出しの部分が長かったため、鈴木三重吉により短く添削され、さらに「いささぎ(ヒサカキの地方名)がいっぱい茂った洞穴」は分かりにくいとの理由で、「しだのいっぱい茂った洞穴」に書き換えられて今の「ごんぎつね」となっている。知多の里山を代表する樹木といえば、このヒサカキであり、ごんぎつねのすんでいた山の洞穴の近くにハンノキが生えていた。ハンノキは本来湿地に生える樹木であるが、知多では地下水位が高いために、ハンノキが山や丘の頂部にまで自生している。半田の地下水位が高いことは、昭和57,58年に宮脇昭先生が植生調査された際に、指摘している。ハンノキについては、林進先生が面白いことを書いているように水田の畔によく植えられた。「畔」は半田と書き、文字通り半田の木といえる。このハンノキは「おじいさんのランプ」では半田池でランプを吊るした木でもある。まさにヒサカキとハンノキは知多の里山を代表する樹木といえる。では、今回の一連の観察会で確認したことをあげてみよう。

 4月2日の板山のマグノリアでは、日記に「花売りがこぶしの木を売りにきた。こよりを戻した紙のようなしおれた花びら。こぶしという名がなつかしかったので、40銭で買った。」とあり、ここでいうコブシはその記載からシデコブシだと思われ、知多に自生地があったことを示す貴重な資料といえる。また日記に「もくれんは白いのがまずさく。5日ぐらいして盛りがすぎる。すると薄紫のがさく」と記しています。南吉の自然観察力を感じる。

 5月3日の任坊山の木の祭りでは、かおりのある白い花の候補をクロバイ、ニセアカシア、イボタとしたが、この「木の祭り」ではユーモラスに蝶の特徴を表現している。模様のある大きな蝶はアゲハ、白いのはモンシロチョウ、黄色いのはキチョウ、枯れた木の葉はさしづめジャノメチョウ、しじみはヤマトかベニシジミを表現したと思われる。また宮池のほとりにビワが茂っていたが、この花は春先目立たない花をつけ、蜜の少ない時期にミツバチが集まってくる。詩「枇杷の花の祭り」で南吉は、蜜蜂の様子を鋭く自然観察している。びわの蜂蜜が市販されているほどだ。この時期クスノキが落葉するが、これも日記で「楠の葉は今かわる。毎日落葉がたまる」と岩滑八幡社のクスノキを観察している。これも常緑樹であれば、落葉しないと思っても不思議でないのに、鋭く自然観察している。

 6月10日の成岩の菓子屋と巨木では、神社や寺のムクノキの巨木を観察し、南吉のもっとも古い作品のひとつ「椋の実の思い出」を紹介していたら、参加者が巨木のムクノキのむろに、ニホンミツバチが営巣しているのを見つけた。南吉作品には、ハチとくにミツバチはしばしば登場します。
 7月9日の養家では、「小さい太郎の悲しみ」の舞台、そして「ごんぎつね」の赤い井戸を紹介した。養家裏側の物置では、偶然破風板がクマバチにより穿孔された様子を観察できた。これも南吉のハチ好きによるものでしょうか。
 8月7日の雁宿公園のかぶとむしとででむしでは、クヌギに集まるカブトムシを観察した。この日はCACの取材もあった。

9月23日の住吉神社の和太郎さんでは、酒の神様である松尾神社が祭ってあることが分かり、まさに和太郎さんの舞台といえる。いずれ宮池にひよめが復活することを期待したい。
 11月19日の童話の森では、「ごんの小径」の途中にセンリョウとマンリョウが並んでいるところがあり、「万両は千両より重いので実が下に付く」とユーモアのある日記を紹介した。ここにも南吉の鋭い自然観察を感じる。
 12月2日の阿久比川河口の蟹のしょうばいでは、なんとかヤマトオサガニが確認できた。またカモなどの水鳥を観察し、諏訪湖の「鴨の道」を紹介した。

 最後に今回の南吉観察会について、朝日新聞の記者の方が関心を持たれ、5月1日の愛知版で記事として大きく取り上げていただいたことに感謝したい。

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